東京地方裁判所 昭和42年(ワ)11314号 判決
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〔判決理由〕一、責任原因
昭和四一年五月一二日午後零時三五分頃、東京都葛飾区四ツ木町二九一番地附近の本田警察署前路上において、原告運転の原告車と被告広木運転の被告車とが接触し、よつて原告が負傷し、原告車も破損したことは当事者間に争がない。
<証拠>によると次のとおり認められる。
(イ) 本件事故発生現場は、北東方堀切町方面から南西方新小岩駅方面へ市街地を概東西に貫く通称堀切船堀通(両側に各3.5米の歩道を控え、車道幅一一米、指定最高時速四〇粁の制限のほか、格別の交通規制なく、交通量は多いが見とおしのよい平坦な直線路)上で、南側歩道から約二米北方によつた車道上であるが、現場の東方一〇余米の地点から梅田町方面に通じる幅約六米の道路が南方に分岐し、ほぼこれと対置して一方通行の規制のある道路が北方へも分岐しているので、堀切町方面から本件道路を西進すると事故発生現場の二〇米位手前で、この十字形交差点にさしかかること、
(ロ) 被告広木は、当時被告車を運転し、時速約四〇粁で車道の左側端との間に二米余の余地を保ちながら、本件道路の左側部分を堀切町方面から西進していたものであるが、その頃先行する車両も対向する車両も殆んどなかつたところ前記交差点附近にさしかかつた際、左前方二〇米位の車道側端附近に、原告車を携えて本件道路を南から北(左方から右方)に横断しようとしている原告を発見したものの、やや減速しただけでその左側方を通過しようとしたところ、一旦右方に進出した原告が、進路を変え左方に向うようにみえたので、今度はその右側方を通り抜けようとしたが及ばず、結局自車左前部を原告車の前輪に衝突させ、これをその場に転倒させたこと。他方原告は、本件事故発生現場の西方にある本田警察署西側路地から本件道路に出、原告車を携えて南側歩道を東進したのち、前記一方通行の規制のある北方分岐道へ赴くべく、本件道路を斜めに横断しようとしたものであるが、横断開始にあたつて本件道路の交通状況を確認しないで漫然車道に進出し横断し始めたところ、ふと右(東)方をみた際、進来する被告車を発見し、狼狽のあまりそのまま北方に進出すべきか、南方に後退すべきか躊躇しているとき、被告車に衝突されたこと。
以上のとおり認められ、この認定を左右するにたりる証拠はない。右事実によれば、本件事故はこのような場合、原動機付自転車運転者は前方を注視し、自転車の搭乗・携行者等の早期発見をなすべく、その動静に配意し、該動静に即応して、適切に警告を発し、または自車の速度を調整し、制動操作の準備行為をする等して、これとの接触等事故の発生を未然に防避すべく、さらに自転車の搭乗・携行者にして横断中の者は、側方から進来する車両の動向を図りかね、時に卒然横断を中止することがあるばかりか、逡巡躊躇し、狼狽のため飜転後退したりするものであるから、充分に減速しながらその動静を注視すべく、漫然その側方を通過すべきではないのに、これらの注意義務を怠つた被告広木の過失により発生したものと認めるが、他方この場合原告にも本件道路の交通状況を全く確認しないで横断を開始したばかりか、被告車の進来を知つた後も逡巡したため被告広木の判断を混乱させた点で、本件事故発生につき過失があるといわなければならない。
被告広木が被告会社に雇われ、本件事故発生当時その乗務を執行中であつたことは当事者間に争がない。叙上認定事実によれば、被告らは、本件事故により原告の蒙つた損害の賠償責任を負担すべきである。
一、示談成立の抗弁についての判断
<証拠>に弁論の全趣旨を総合すると次のとおり認められる。
原告は、被告車と衝突して頭部をうつたものの、出血もなく、自力で原告車を携行して本田警察署に赴き、さらに京成外科に入院したものであるが、その症状は必ずしも重篤ではなく、少くとも数日後からは、起きあがつてテレビを視聴したりすることができたこと、原告は小学校を卒業したにすぎないが、多年旋盤工としての経験を積み、社会生活にも馴れているもので、筆読はもとより通常程度の常識も有し、いわゆる損害賠償に関する示談の意味もわきまえているものと推認されること、かつて妻帯したものの、収入が少なかつた等のため、妻から去られ、本件事故発生当時は、小学五年生の娘を養女に暮していたものであるが、やや勤労意欲にかけ、日給一二〇〇円ながら、平均すると月二〇日間程度就労するだけであつたので、比較的貧困な生活をおくつていたこと、本件受傷により入院加療するに至つたので、雇主黒沢進は、一時養女を引き取つていたものであるが、その実兄の所在が判明しないので、被告らとの間の示談交渉方を右黒沢に依頼したこと、被告らは、本件交通事故をめぐるいわゆる刑事、行政各処分前に、原告と円満に示談を遂げたいと考えていたこと、かくて被告らと黒沢との間に接衝進捗し、ほぼ成案を得たので、昭和四一年五月一九日頃、前記京成外科内の原告の病室に、黒沢進、被告会社代表者深沢俊雄らが会合し、黒沢において深沢らが予め起草していた乙第一号証の趣旨を原告に説明したうえ、黒沢、深沢らはそれぞれ自署押印し、原告の氏名は、誰かが代筆し、名下の印は、その頃原告が使用していた印章で黒沢が押捺したこと、深沢俊雄が持参した三万円を黒沢が受け取り、同人はその場でそのうち一万四〇〇〇円に示談書の一通を添え、原告に手交したこと、右示談の内容は、被告らは原告に対し、治療費全額を負担するほか、休業補償として二一日分の賃金相当額及び入院中の付添婦の日当合計三万円を負担するものとし、原告はその余の損害賠償請求権を放棄するものとすることであつたこと、なお、原告の受傷程度は前記のとおり必ずしも重症でなく、現に当時入院中の京成外科を同年五月二八日頃退院したこと、示談交渉の過程で、本件事故発生につき原告側にも過失があるため、実損害額の割合的賠償に甘んじなければならないこと、前記黒沢進も原告も納得したものと推認されること、退院の際原告は歩いて帰宅したものであり、その後現在に至るまで原告は、脱力感、耳鳴り、不眠等の後遺症状を訴えるものの、医学的諸検査の結果では、殆んど異常が認められないし、また本件受傷後、訴外相葉工業所に四、五箇月勤務し、昭和四三年五月からは訴外金子製作所に勤務し、月収四万円弱を得ていること。
以上のとおり認められる。右認定に反する原告本人尋問の結果は、証人黒沢進の証言に照らして措信しない。右事実によると、本件交通事故により原告の蒙つた損害の賠償については、被告主張の示談により、当事者間に賠償額および賠償方法に関して合意が成立し、かつ確定賠償額については履行も終了したものであつて、もはや原告にはこれと別個に損害賠償請求権を行使するに由ないものといわざるをえない。 (薦田茂正)